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 こんにちは、シルバアメニティの御手洗銀三です。人は、私を「オテアライギンゾウ」と呼びます。人によっては「ギンさん!」と呼ぶ人もいます。そうなんです。私は、自分でこの名前をビジネスネームとして使っているからです。

 戦後の日本は、凄まじい程の復興を遂げました。経済も又「東洋の奇跡」と言われるほどに、高度成長を遂げてもきました。が、同時にこの成長の時期には、頻繁に公害が発生し、住民の健康問題等に大問題とされていました。

 景気で賑わう街中のトイレも、「臭い・汚い・恐い・暗い」と4Kトイレ全盛の時代でした。

 しかし、当時の日本人は経済の発展にブレーキかけることなく、人類の持つ知恵と科学技術等で、下水道のインフラ整備や問題の公害対策を着々と進め、公害問題解消にも、何一つ怯むことなく徹底した改善に取り組んで参ったのです。その努力もあって、昨今では、河川や海辺にも、昔、居た魚類が集まってくるほどに綺麗になってきたのです。

 当時、慶応大学の西岡秀雄名誉授が会長を務めていた「日本トイレ協会」の環境問題に関する影響力は大きなものがありました。

 昭和63年5月に当時のトイレに関心を持つ21名の人々が、世界で初めて「ヨーロッパトイレ事情視察旅行」を実施した時期です。

 私(御手洗銀三)も、この旅に同行しヨーロッパ各国を訪ねました。ドイツでは実業人、スイスではジュネーブの畔で、フランスではパスツール研究所の学者たちとトイレを語り合ったのです。世界で初めて開催されたトイレの国際会議でした。実際、私達が日本へ帰国して間もなく「フランストイレ協会」が創立された。とニュースを聞いて、当時の団員達は心から喜んだものです。

 さて、私は日本トイレ協会がスタートする10年前、昭和51年12月に「トイレサービス」と言う珍しい仕事を起業しました。

平成元年には、株式会社アメニティの社名で、全国展開でフランチャイズのネットワークを構築して参りました。今では、アメニティのトイレ診断士と同様にトイレの安心・安全マークとして取り上げられるようになったブランド名です。

 トイレの話題が明るく取り上げられるようになった事で、「日本トイレ協会」の30年に亘る貢献も大きなものとなりました。毎年選ばれる、優れた公衆トイレを「グッド10」と表彰してきた事も大きかったでしょう。

 アメニティネットワークの実務部隊の一員として、更に、快適なトイレ環境を実現してまいります。宜しくお願い致します。

代表挨拶

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